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肉屋の仕事、ときどき趣味の日々
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 先週末の日曜日、夕方から東京へ赴き、大学時代のサークル仲間と約一年ぶりに会ってきた。変わらないやつもいれば変わったやつもいて、それでも以前と同じように話ができるのは、4年という時間を一緒に過ごした所以か。





 そのときにちょうど昼間に「じぶん・この不思議な存在」を読み終えていたので、ここ最近読んだ本も織り交ぜて"<わたし>とはなにか"という疑問についてある友人と少し話した。話は途中から様々な主張をどう統一するのかという方向に脱線してしまったが、ふと自宅に戻ってから同様に昼間読んだ「世界の終わりと夜明け前」のことを思い出した。よくよく考えてみると、浅野いにおの作品ってこの問題がテーマなんじゃないのか、と。「じぶん・~」では<わたし>は他者との関係の中でのみその都度顕現するようなものだとし、現代人、特に若者は他者との関係性の希薄さから自分というものの実感が持てず、他の何物でもない<わたし>を探し求めるのだと述べられていたが、今は更に状態は進んで、既に<わたし>というものさえ探そうとはしていないように思える。前述の「世界の終わりと夜明け前」にもあるが、いつの間にか自分に関わりのある人たちや、自分自身についてさえも、他人事のように無関心になってしまっているように思える。他者の中に自分が占有する場所を持つことをなにかいけないことのように思えて、他者のそういった要求を受け流すようになっている気がする。そんな世の風潮の中で浅野いにおの作品は、他者を求める要求をうまく行動に移せなかったり、逆に他者の求めを受け流してしまったり、そうした人がたくさんいるんだよと伝えると同時に、ふとした瞬間にお互いの矢印がぴったりと向き合って、ささやかな他者との繋がりが生まれることもあるんだと言いたいんじゃなかろうか。クロスオーバーのような表現も、直接関わり合いを持つわけではない登場人物同士の繋がりを感じさせることで、現実でも自分の傍を日々通り過ぎていく人にも一人ひとりの物語があるのだと言ってるのかも。あと、いにおはこういう関係を自分自身の中に落とし込む場合もある、自分の気持ちを騙しているときとか。
 で、結局なにが言いたいかというと、自分は今日は先にも出たある友人とばかり話していて、結局他の人のことが"他人事"になってしまっていたことに反省するべきだなと思ったのでした。いや、どうしても議論じみてくると一対一に陥りやすいので、できるだけ周りにも配慮するべきだということは散々ゼミで思い知ったことのはずなんですが、数年ですっかり駄目になりました。こう、もっと間口を広くとってそういう場でしかできない交流を持つべきだとつくづく思うのです。


 あと、話は酷く関係のないところに飛びますが、前述の友人がずっと薦めていたゼーガペインをやっと見てくれて、その話をできたことにちょっぴり感動した。
 それと、以前からメリーさんシリーズを読んでもらっている友人たちから続きはまだかという催促をされた。もうとっくに忘れられていると思ってたのに、今更続編要求とか、嬉しくて泣きそうになっちゃったじゃないか。毎度難産なシリーズですが、続きを描いてみようと思います。続きを心待ちにしている方にちゃんと応えられるように頑張ります。







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