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いろいろ物議を醸し出しているLの季節2ですが、一応ネットに姿を見せない間にこつこつと進めまして、とりあえず香野由香エンド、というか香野ルートをほぼコンプリートしました。で、それから一週間ほど仕事の傍らずぅーっと考えていたわけですが、ひとまず現状の意見がまとまった気がするので、ここに書きとめておこうと思います。
あ、もちろんネタバレの連発になるので、既に該当ルートをクリア済みの方かそんなの気にしないよって方のみ続きをご覧ください。 まず、一通りやってみて感じたことを正直に言えば、なんだか納得のいかない、もやもやした状態でゲームから取り残されてしまったような気がしました。それはグッドだろうとバッドだろうとLの季節エンドだろうと、どのエンドでも感じたことでした。 それがずっと何故か気になって、またなぜこのようなエンディングになったのか(*1)を考えてぐじぐじと一週間が過ぎたわけですが、ここ数日でひらめいたのは、じゃあ前作のLの季節ではなぜ上のような感想を抱かなかったんだろうというものでした。 前作はゲームシステムはもちろんのこと、主人公や物語内の時間やら何やらがいろいろ違ってはいますが、それらに依存しないLの季節としての本質、いわば“Lの季節らしさ”といえるものがあるはずですし、あってしかるべきです。すくなくとも僕は作品というのものにはそういった側面があると思っています。(*2) そこで前作を思い返しながら、今作において失われてしまったものはなんだろうかと考えました。その結果、それは青春期における漠然とした喪失感・無力感ではないかと、僕は結論付けました。 この点を踏まえて2を見返してみると、確かに今作においても何かを失った、もしくは無力な自分を自覚する設定やシーンは見受けられますが、それらはあまりにも明確な形を持って目の前に示されてしまっています。香野や遥はわかりやすい記憶や母親というものですし、前作の主人公である上岡を初め、登場キャラクターである天羽や星原は当事者であるにも関わらずシナリオ上での絡みがうまくいっておらず、たとえ前作の知識があるにしても今現在における彼らのそういったものをプレイヤーが感じとることは難しいですし、むしろ今作の設定ではそれらがひどく陳腐なものに感じられて仕方がありません。そこには最早原因がどこにあるのかわからないまま彷徨い、焦り、行動していた彼らの姿はどこにもありませんでした。 特に星原さんの扱いはひどく、あれではただの横恋慕の末に掠め取っていたと受け取られても仕方なく、思わず無闇に段落をひとつとって強調してしまうくらいショックであったし、僕の中の星原さん株を金融危機の如く大暴落させしめたほどの凶行でした。(*3) ----------------------------------------------------------------- 小休止 ----------------------------------------------------------------- さて、ここまではなんだか2の批判のようになってしまいましたが、それでは近作において失われてしまった“Lの季節らしさ”の代わりに示されたものとはなんだったのでしょうか。(*4) それはずばり、“すでに「Lの季節」は失われてしまった”ということだと僕は思います。「おいおい、それじゃたった今言ったことと大差ねえじゃねえか」と言われそうなので、もっと具体的に言うならば、“現在において僕たちがかつて体験した「Lの季節」の再現は不可能であることを示すことによって、かつて僕たちが抱いたこの作品に対する感情の答えを得るための補論”だと思います。いや、わけがわからないですね。今自分で書いていてもいまいち伝わりにくいんじゃないかと思います。順を追っていきましょう。 まず、作品の構図から見てみると、今作では前作で解決をみなかった意識不明事件を新たなキャラクターを通して見ていくことになります。しかし、前作においてあった漠然とした喪失感が事件の核心に迫るにつれてトリスメギストスに象徴される世界が二分されたことに対するものに滑らかにスライドしていくという手法はとれません。今作の主人公は七角ペンダントを持っているだけで当事者というわけではありません。よって、河瀬は結果として物語を解決する立場にあるにも関わらず、自身は最も物語に対する関係性が薄いキャラクターといえます。ここにおいて、ストーリーとキャラクターの間に齟齬が生じているわけです。 第二に、星原がほぼすべてのエンドで死亡する点が論点となります。その死はどのルートにおいても上岡によってもたらされ、同時に彼の中にいるトリスメギストス、もしくは上岡自身を道連れにします。なにより、上岡と中間次元において永遠を共にすることを選んだルートが「Lの季節」というエンドネームになっていることからも、これが製作者側が意図した星原にとっての正規のエンドであることが伺えます。つまり、香野ルートはいわば裏(もしくは続?)星原ルートなわけです。ではこのことが何を意味するのかと考えてみると、頭に浮かぶのは同じく星原が死亡する前作のバッドエンド「日常-1」ですが、ちょっと待ってください。この「Lの季節」の星原死亡後の後日談を見てみると、天羽が死亡した場合のバッドエンド「雲のない空は無いけれど・・・・・・」の方がより近いようです。この相似は何を意味するのでしょうか。これは人によって意見は分かれるでしょうが、僕はこれが製作者側が用意した近作における「雲のない空は無いけれど・・・・・・」であり、またシリーズを通して物語の中心は常に星原であり、彼女のバッドエンドこそがLの季節において真に示されるべき結論なのだと考えています。(*5)(*6) では、そこで示されている結論とは何なのか。それは ①既に失われてしまった ②なぜ失われてしまったかはわからない この二点に集約されると考えられます。 紆余曲折・状況の差こそあれ、常に物語において主人公らは星原を失い、その失った事実を最終的には忘れてしまうことになります。その結果として、彼らに残るのは青い彼岸花を見るたびに胸を過ぎる感情だけです。つまり、Lの季節とはなぜ失われたか、それがなんだったのかもわからないまま残された喪失感とそこから染み出る感傷を抱えていかなければならないという青春期における誰もが通る道を追体験させる作品だったといえます。(*7) 「おいおい、L季らしさが失われたとか言っておきながら、しっかり残っているじゃねえか」と言われそうですが、ちょっと待ってください。これはそういう製作者側の意図は汲めるというだけで、それがそのまま作品から感じ取れるかといえば、大いに無理があると思います。それが先に述べた近作における主人公の立ち位置です。彼は物語から最も遠いところにいる故に、この“Lの季節 らしさ”を体現しきれていないのです。だから冒頭で述べた感想の通り、プレイヤーである僕は物語から取り残されてしまうのです。これが「Lの季節の再現は不可能」である所以です。 では、僕らはここから何を得るのでしょうか。それを考えるには、作品内において示された結論をプレイヤーを含めた現実世界まで広げなければなりません。 先の“Lの季節らしさ”の話の部分でも言った“Lの季節は失われてしまった”ということは、ゲームを一通りやったユーザーなら誰もが抱く(と僕は思っている)ものですが、これは先の結論①に該当します。そして、ではなぜ“Lの季節らしさ”は失われてしまったのかを考えるとき、ゲーム内における構図やロジック、前作との相違点は先の僕のように示すことはできますが、そうなってしまったそもそもの原因、製作者側の何が今作をこのようにせしめたかというその理由はユーザーである僕たちには類推などはできるとしても、そこから結論づけるところまではいけません。するとここで結論②が現れるわけです。 つまり、僕らはLの季節2をプレイすることによってLの季節を喪失し、今後どちらのゲームをやるときでもその喪失感を思い返し、そしてその原因は知ることは多くの場合においてできないのです。それはゲームという幻想を追体験することで間接的に感じていたものを、ここにきて現実世界に引き上げて実体験として知らず知らずのうちに埋め込まれてしまったといえます。これが、今作の密かに示した結論であると僕は考えています。(*8) ----------------------------------------------------------------- 補足 ----------------------------------------------------------------- *1 もちろんこれの大部分はなぜほとんどのエンドで星原さんが死ななきゃならんのだという疑問というか怒りが占めています。いや、だってさあ・・・・・・ *2 かといって、それらが要らないというわけではなく、例えそれらによって構成されるものであったとしても、そこから示されるものは独立性を持ったひとつの結論でも有り得ると思うわけです。 *3 一応今回の考察の結論に至った今では、若干持ち直しはしましたが、だからといってそう簡単に納得のいくものでもないのです。 *4 もちろんこれは現実界の香野ルートに限ってのことですが、今作における前作への配慮はこのルートが大部分を占めているように感じられるので、ここでまとめてしまっても大筋で問題はないかなと思っています。 *5 これは僕がこの「雲のない空は無いけれど・・・・・・」というエンドをひどく気に入っていて、前々からこれこそがLの季節の本当のエンディングだと言っていたことに多分に関係している、とも考えられますし、実際その通りなのかもしれませんが、自分ではそこに判断は下しにくいです(汗) *6 また、「Lの季節」エンド以外のエンドにもこの相似はそこかしこに見られる。 *7 これはさすがに言いすぎな気もしましたが、少なくとも僕にとってL季は今も昔もそういうゲームだと思ってます。 *8 もちろんこの考察の結論には多分に論理の飛躍が見られると自分でも思うのですが、僕にとってのLの季節とはそういったものになったのだということを説明するためには、現状では他にうまい説明が思いつきませんでした。 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! PR |
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